11月21日(日曜日)
昨夜は、珍しくマッサージを呼ばずに寝てしまいました。
朝風呂は、6時半から。
6時に起床して、mimimamaが風呂に行ったら、利用OKでした。
その間、クーとお散歩。
朝は結構冷え込んでいました。
7時半からの食事の前に、温泉に浸かりました。
この朝風呂は、最高に気持ちええですね。
大広間で朝食。
至って普通の朝食です。
お膳の数を数えたら40人以上の宿泊?
今回も宿の写真はありませんでした・・・
さて、今日は萩観光。
その前に、宿から10分足らずのところにある
金子みすゞ記念館へ。
今日も快晴。
大通りから細い道を曲がって少し走ると、駐車場がありました。
記念館は9時からでしたが、10分前くらいに着いたので、様子をうかがって
みると、どうぞ~って。
しかもクーを抱いて入館OK!
いいところです。
金子みすゞの紹介を引用すると・・・・
大正時代末期に彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていた童謡詩人です。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に
生まれました。
童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。
4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを
飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」
と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。
23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、
さらには病気、離婚と苦しみが続きました。
ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という
若さでこの世を去ってしまいます。
こうして彼女の残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかり
となってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の
矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により
再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載される
ようになりました。天才童謡詩人、金子みすゞ。
自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた
彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを
伝え続けています。
私は知りませんでしたが、素朴ながら心に染みいる詩をたくさん書いています。
館内でその詩を読んでいくと、ついついその世界に引き込まれてしまい、
時間と場所を忘れ、別の世界にいるような気分になります。
そんな、状態から引き戻してくれたのが、クー。
ずっと抱いているのでお散歩させろ~!って鳴き始めました。
仕方がないので、私が先に出てクーとお散歩。
mimimamaのツボにはまったようで、1時間以上観賞してました。
10時なって萩へ向かいます。
初めは、萩博物館の駐車場を目指していましたが、途中で萩中央公園の駐車場が
あったので、そちらに停めました。1回300円です。
クーを連れて、まずは高杉晋作誕生の地へ。
入館料100円を払ってクーとともに入りました。
次に、萩藩の御用達を勤めた豪商菊屋家の住宅を見学。
こちらもクーと入れます。
庭を背景に記念撮影。
伊藤博文公の初洋行の際のアメリカ土産の時計。
なんと130年以上経っている今でも週1、2回ゼンマイを巻くだけで正確に時を
刻んでいるそうです。
次に、木戸孝允旧宅へ。
こちらもクーと一緒です。
綺麗な庭がありました。
次は円政寺へ。
伊藤博文が11歳の頃、住職恵運に諭され、読み書きを習い、
また高杉晋作も子供の頃にはよくここで遊んだといわれている寺です。
高杉晋作、伊藤博文が幼少時代に遊んだ木馬。
次は、萩博物館へ。
時間が無かったので、車で移動。
駐車料金は1回300円。
残念ながらクーは入館できないので、mimimamaだけ観賞。
夏みかんソフト。美味しかった~
次は、少し離れた松陰神社へ車で移動。
駐車場は無料ですが、数台待ち。
すぐ入れました。
日陰に駐車できたので、クーを窓を少し空けて車内に残し、見学へ。
木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で8畳一室と、後に吉田松陰が
増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分から成り、
国の史跡に指定されています。
松陰神社宝物殿 『至誠館』も見学して2時半。
やっと自宅向けて出発。
山陽道の防府東ICから高速に乗って、途中下松SAで休憩。
広島JCの手前で渋滞。
瀬戸大橋経由で帰宅したのが、9時5分。
まだまだ見てみたい史跡がありますが、今回は時間切れ。
幕末藩士の面々?に触れあうことができた旅でした。
坂本龍馬は土佐だけのものではない!ってこともよ~くわかりました。
今回の走行距離 984km。